日本オゾン療法研究所 所長挨拶

日本オゾン療法研究所所長 神力就子 2019年12月現在 挨拶

ホームページ開設にあたって 所長挨拶

 このたび、2019年12月に日本オゾン療法研究所のホームページを立ち上げましたので、一言、ご挨拶を申し上げます。

 私どもはオゾン療法を施療する医師の求めに応じ、ドイツ ヘンスラー社の器具を紹介する(有)オゾノサン・ジャパンを1997年に立ち上げました。以来、オゾン療法を施療する医師を求めて15年経過したところで、日本オゾン療法研究所を設立致しました。

今日、高度で専門的な医療が充実しつつありますが、今なおその恩恵に預かれずにいる慢性疾患や難治性疾患患者が多数おられます。今後、医療に多様な対応が求められるようになっていくでしょう。オゾン療法はそれに応える、伝統医療・補完代替医療を含めた統合的医療の一つです。

 歴史的に顧みますと、我が国でも第二次世界大戦終了前まで、現在処方されている抗生物質はなく、軍隊などではオゾン療法が盛んに行われ、民間でも日本大学駿河台病院などでオゾン療法による肺炎の治療などが行われていました。しかし、残念ながら終戦間もなく乱雑な戦後処理のためにそれら全てが抹消されてしまいました。終戦後この画期的な効果を経験した当時の医師により、ほそぼそとオゾン療法は継続されてきましたが、1994年私どもにより、ドイツのオゾン療法を踏襲する形で、研究会が組織され、その復活が諮られました。

 その科学的根拠が判明されて来るのは1980年代頃からですが、イタリア ボローニア大学のボッチ教授は血液中の免疫細胞にオゾンが何らかの影響を及ぼしているとの推定で研究を開始し、その第一報「インターフェロン-γの誘導」(1990年)を発表し、さらに多くのサイトカインの産生を見出しました。

 同時期に我が国においても、神力らがオゾン療法で用いる微量のオゾンを血液と混合した場合に生じる血液成分の化学変化をヨーロッパで発表(1991年)し、さらに、三浦や嵯我井らが分子生物学的メカニズムを予見(2011年)し、それは世界に刺激を与え、現在、この新しいスタンスに基づいた研究から数々の論文が出されるようになりました。

 日本オゾン療法研究所はこうした日本国内のオゾン療法研究の趨勢を加速するため、①学術的な面も加味した情報の提供 ②研究の支援 ③ヨーロッパなどのオゾン療法学会との国際交流をして来ましたが、その成果で日本の現状をさらに飛躍させることが研究所の目的です。最近ではオゾン療法施療医師が益々増えており、迅速な情報の提供が望まれています。そこでこの度、研究所の目的に特化して、オゾノサン・ジャパンとは別にホームページを構築することになりました。ご意見をぜひお寄せ下さい。

2019年12月20日
日本オゾン療法研究所 所長 神力就子(シンリキ ナリコ)

2011年 創刊号 小尾陞の挨拶

(有)オゾノサン・ジャパン
代表取締役 小尾 陞

「日本オゾン療法研究所」開設にあたって

 今をさる18年前、1994年7月、神力就子氏らにより、ドイツを中心とするヨーロッパで施療されていたオゾン療法を日本において普及するため、日本医療オゾン研究会(現日本医療・環境オゾン学会)設立のアピールが出され、同研究会が発足しました。神力氏は (有)筑波物質情報研究所(代表 金子啓二)の役員でもあったことで、この研究所の協力を得てオゾン発生器などの輸入の便宜を会員医師に図ってきました。その後、ヘンスラー社(ドイツ)との提携を前提に1997年7月14日に(有)オゾノサン・ジャパンが設立されました。オゾノサン・ジャパンは定款「オゾンによる治療と予防医学の調査、研究及びそれらの適正な普及、並びにそれらに関する情報の調査、収集、分析、研究及び販売」(目的第一項、以下省略)に依拠して、設立当初から日本医療オゾン研究会と車の両輪の関係で、日本におけるオゾン療法の普及に努めてまいりました。学会会員の皆様のご理解、ご支援のお陰を持ちまして、今日まで事業を展開して参りました。

 ここに皆様に深甚なる感謝を申し上げます。

 当初の「日本医療オゾン研究会」は昨年、2011年4月に「日本医療・環境オゾン学会」に発展しました。当社においても、オゾン療法の普及をますます加速するため、2011年7月に「日本オゾン療法研究所」を立ち上げ、また、オゾン療法を専門とするセントラル クリニックを開院しました。

 前者におきましては、当社の定款に記されております通り、漸く独自の調査、研究を今後、進めてまいります。具体的にはオゾン療法研究費の助成を平成23年度より開始いたしました。また、刊行物「オゾン療法研究」を発刊することにしました。

簡潔ですが、当社設立以来の経過を述べ、当社発展にご協力頂いた皆様に深謝し、今後の当社の活動をお誓いして、「日本オゾン療法研究所」開設のご挨拶と致します。

2011年 創刊号 神力就子の挨拶

日本オゾン療法研究所 所長
(有)オゾノサン・ジャパン取締役 神力 就子

「オゾン療法研究」の創刊にあたって

 1994年8月、日本医療オゾン研究会が発足するとすぐに会報を発行することになりました。私にとって大きなインパクトを与えた、記憶に残る初期の寄稿は東京大学名誉教授増田閃一先生のそれです。先生は、私が医療オゾン研究会を発起するきっかけとなったC型ウイルス性肝炎罹患のK氏にオゾン療法を勧め、ドイツで治療を受けるように助言されました(このことは後から知ったことです)。K氏からドイツの医師の紹介を要請されて、“予防と治療へのオゾン適用、ドイツ医学会”(The Medical Society for Ozone Application in Prevention and Therapy, Germany)副会長、Dr.med.G.H.Wasserを紹介しました、1994年3月のことです。K氏はゴールデンウイークを中心にドイツでの2週間の治療を終え、すぐに帰国報告。その元気いっぱいの電話にまず驚かされました。山本光祥医師(聖マリアンナ医科大学、後に初代会長)と毎日新聞K記者(オゾン療法の存在を知り、追跡調査中)を誘って元気溌剌のK氏を、東京のホテルに訪ねました。K氏は強力ミノファーゲンCを使用治療中で、関連検査値はすべて高く、出発前、お会いした時は疲労しきった様子でしたが、この2週間に10回のオゾン大量自家血液療法を受けた結果、すべての値が正常値に入っておりました。

 紹介の労を執ったものとして、この結果に胸を撫でおろし、ともに歓んだのですが、同時に私が今後もオゾン療法の単純な文献的紹介をしているだけで良いものか、苦しんでいる人達がオゾン療法をもっと活用できるように行動するべきではないかと自問自答するようになりました。K氏の結果を見て、増田先生は自分の目で確かめようと思われ、所用のついでに、ドイツへオゾン療法探索の旅に出かけられました。こうして、私は増田先生の知己を得、「日本医療オゾン研究会」立ち上げの相談もしました。先生は研究会をバックアップすることを約束して下さり、バックアップの初回が上記会報第3号に掲載されたオゾンテラピー体験記です。その内容を以下にかい摘んで述べます。

 「ドイツは科学の国、哲学の国、また音楽の国として我々の青春時代の人間形成に大きな糧を与えて呉れた国であり、----」に始まるこの文章は私には印象深いものです。私の年代はドイツ語必修(医薬系)の時代であり、ドイツ語の授業や青春をほろ苦く思い起こさせます。まさにドイツはドイツであって、世界規模ではほんの一部の医師グループかもしれませんが、ドイツへのBiological Medicine “Update” Tourが多く組まれるのも、科学、哲学に支えられた実績を持つこの国であるからではないでしょうか。オゾン療法を許容し、発展させ得た風土を感じるものです。

 ホルミシス効果についてもこの寄稿の中で言及されています。先生はオーストリア政府が認め、インスブルック大学医学部が管理する放射性ラドンガス吸入療法を引き合いにだされ、オゾンのホルミシス効果を予測されております。当時、オゾン療法の効果のメカニズムは良く分かっておりませんでしたが、私は治療効果を知るにつけ、「オゾン療法はヒトの自然治癒力を引き出している」と言ってきました。今、18年が経ってオゾンのホルミシス効果が注目を集めつつあり、分子生物学の力を借りれば、その解明は近いのではないかと考えております。

 先生の寄稿は私の出発点を展望あるものにし、「普及の長い道のり」への精神的支えとなりました。これは「会報があって」、「寄稿があって」、のことであり、他にも、エポックになる会報掲載の記事は多数ありますが、増田先生の寄稿を一例にあげて、「オゾン療法研究」創刊の意義を強調するものです。

 先生は寄稿の直後、急逝されました。具体的な普及のための援助を頂けなくなりましたが、上記、先生の寄稿が「オゾン療法普及の長い道のり」にあって私をどれほど支え、激励してくれたことか、とても言い尽くせません。「オゾン療法研究」が今後のオゾン療法の展開に大いなる力になる事を心から期待しております。

 図らずも、この創刊号では「オゾンのホルミシス効果」を予測させる論文の総説を紹介しております。

 先に小尾代表取締役が述べていますように、漸くオゾン療法研究所が開設され、クリニックの開院、研究費の助成制度が始まりました。研究所はこれらの活動を主としながらも、国外との連携もありますので、「オゾン療法研究」では、現場医師への国内外の情報提供を考えております。「この有言」の実行を肝に銘じて、今後を推進していきますので、寄稿への協力、翻訳への協力を切にお願い致します。

 この小冊子の最後に増田閃一先生の寄稿文を再録いたしました。

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